悪夢から覚めたような気持ちです。
実は昨年の春、足や腰が重くて病院で牽引してもらうことになりました。そしたら、逆に痛くなって、自力で牽引台から下りることも、立つこともできなくなり、帰りは車椅子です。たった1回の牽引でですよ。
帰宅してからも痛みが我慢できず、いろいろな鎮痛剤を時間をおかずに飲みましたが、腰から下がどうにもなりません。母親に来てもらって、オムツの生活になってしまいました。とにかく足の位置を少し動かすのも、母や娘を呼ぶような始末。
これは手術しかない、と2週間のオムツ生活の末に思いましたが、たまたま知人に酒井先生に掛かった人がいて、「手術する前に試しに行ってみなさい」と教えてくれたのです。
その日は、どうやって夫の車で健康院まで運ばれたか、まったく覚えていないほど、大変な苦痛でした。初めは写真も撮れません。数分の施術を受けて、先生が「さあ、立ってごらん」と言います。「そんなこと、できるわけがない」と思いながらやってみると、スーッと立てたのです。驚きと喜び、不思議な気持ちで、皆の前で、声を上げて泣きました。
その後は回を追うごとに回復し、現在はもう外で仕事ができるくらい元気になっています。
家業の電気工事の仕事中、右足に電気が走ったように痺れてきて、大学病院で椎間板ヘルニアと診断されました。
ところがブロック注射の1回目から痛みが増してきて、3回目のときは激痛で目の前が真っ赤になるほど。
あまりの痛さに脂汗が出て、以来動くことができなくなり、車椅子生活になってしまいました。
「キミの体は現代医学では治すことができない。このまま一生痛みと付き合いながら生活しなければならないから、今の職種より負担の少ないものに転職するように。」と
医師にも見放され、一生動けない痛みが消えないという思いから自殺しようとまで思い詰めたこともありました。
そんな時、入院中に本で酒井健康院を知り栃木から銀座へ向かいました。仰向け、右横向きの姿勢がとれず、シャワーが当たっても痛みが出るような状態でした。
施術をされて痛くないというのはとても不思議でした。徐々に状態も改善して2ヶ月後には痛みも少しずつ和らいで、少しずつですが立ったり歩いたり出来る様になりました。
初診から2年間は親に送迎してもらいましたが、3年たった頃からは高速バスで一人で通えるようにもなりました。
現在は父親と一緒に電気工事の仕事をしています。一度は現代医学に見放されましたが、酒井先生のおかげで何とか回復できました。
もし先生に出会わなかったら、私はこの世にいなかったかもしれないと思うと感謝の気持ちで一杯です。
腰が痛くなり始めたのは中学3年生の10月でした。当初はすぐ治ると思い、何もしなかったのですが、日々痛みは増すばかりでした。鍼治療をしましたがひどくなるばかりで、念のためMRIを撮ったところ軽度の椎間板ヘルニアだとわかり、鍼治療と併行してコルセットもつけるようになりましたが、症状は増々ひどくなり5ヶ月後には激痛で寝たきりになってしまいました。
そんな時に本で酒井先生のことを知り、酒井健康院に通い始めました。新学期も始まっていましたが、学校は一時休学し、毎日1日2回治療に通いました。1ヶ月ほどすると体が左にひどく曲がっていたのが真っ直ぐになり、その後半月ぐらいで強い痛みがなくなりました。今ではメンテナンスで月に1回ほど治療を受ける程度で、立ち仕事のアルバイトもできるようになりました。あの時、酒井先生の本に出会わなければ間違いなく手術をしていると思います。酒井先生に出会えて本当に良かったと思います。